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山口家庭裁判所下関支部 昭和42年(少ハ)2号 決定 1967年9月21日

少年 T・Z(昭二三・七・六生)

主文

少年を昭和四三年七月五日までを限度として特別少年院に継続して収容する。

理由

本件申請の要旨は、少年は昭和四一年九月一六日当裁判所において少年を昭和四二年九月一五日までを限度として中等少年院に戻して収容する旨の決定を受け、同月一九日岡山少年院に入院したものであるが、数回にわたり規律違反を犯して在院生活約一一ヵ月におよぶも処遇段階は未だに二級上に留まり、昭和四二年八月二二日岡山少年院から新光学院(特別少年院)に移送されたものであり、岡山少年院在院中の成績からして少年の性格を矯正するには今後なお相当の期間継続して収容する必要があるというものである。

本件申請添付資料、家庭裁判所調査官作成の調査報告書、新光学院分類保護課長島崎滋二ならびに同院担当教官福田貞光の当審判廷における各供述および一件記録によれば次の事実が認められる。

(一)  少年は、昭和四一年九月一九日岡山少年院へ戻し収容された後も新入生へのいやがらせ、他院生への暴行・洗濯強要等の規律違反が四回におよび、入院時の処遇段階二級下から昭和四一年一〇月二九日三級へ降級させられ、同年一二月一日二級下に復級するも翌昭和四二年三月一六日再び三級へ降級させられ、同年五月一日二級下に復級し、次いで同年六月一日二級上に進級し、そのまま同年八月二二日新光学院へ移送されたものであり岡山少年院に在院すること約一一ヵ月におよぶも在院成績は一進一退を繰り返し結論的には二級下の処遇段階から二級上に進級したにすぎない。これは少年が戻し収容決定によつて岡山少年院に再入院したこともあつて次第に施設ずれした図々しさ、陰険さを露骨に示し、粗暴行為等を重ねたもので、昭和四二年三月一七日以降は規律違反や反則行為は顕在していないが、依然陰険で他院生を煽動する等不良態度は続き矯正効果はあがらないまま同年八月二二日新光学院へ移送されたものである。

(二)  新光学院に移送されてからは約一ヵ月を経過したにすぎず、先づ先づ平穏にすごし、少年自身反省もし自覚心に目覚めつつあるが、未だ社会生活に適応できるだけの自信も能力も持つていない。

(三)  家庭には母ならびに高校へ通う妹と弟の三名がいて少年の帰住を待つてはいるものの、母親は昭和四二年二月初旬病いを得現在快方に向つているとはいうものの自宅療養中で全快の見込みも立たず生活扶助と医療扶助を受けている状態である。

以上のとおり仮退院に必要な処遇段階一級上に達するにはなお相当の期間を要するのみならず少年の非行性は未だ矯正されたとは考えられず他方家庭の保護能力は十分でないことを考慮すれば少年の社会復帰能力を函養するにはなお相当の期間少年院に継続して収容する必要がある。

その期間について考えてみると、少年が満二〇歳に達する頃を更生の転機とするのを適当と思われこれに上記の事実とを考え併せれば、昭和四三年七月五日までを限りとして少年を継続して収容するのを相当と思料する。

よつて少年院法第一一条により主文のとおり決定する。

(裁判官 久保田徹)

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